2007年9月議会 10月5日 びぜん光正

議第5号 ハンセン病問題の解決に関する意見書案について 賛成討論

 議第5号 ハンセン病問題の解決に関する意見書案について賛成の立場で討論いたします。

 国は一世紀にわたってハンセン病患者・元患者を強制隔離し、官民一体となって、いわゆるすべてのハンセン病患者を療養所へ隔離して、県内から放浪患者や在宅患者を一人もいなくする「無らい県運動」等をおしすすめ、町や村から徹底的に排除し、さらに断種・堕胎による絶滅政策をとってきました。それは1943年、(昭和18年)特効薬であるプロミンの開発により治癒可能になっても、また、1956年(昭和31年)のローマでの国際会議で「日本の隔離政策は誤っている」と決議されても、なおその後40年経過する1996年の「らい予防法」廃止まで続き、病は癒えても患者・元患者の社会復帰は容易ではありませんでした。
 この国の誤った強制隔離・絶滅政策は、2001年の熊本地裁判決で、憲法13条が定める「人格権の侵害にあたる」と断罪されました。国はこれに基づき補償、謝罪・名誉回復、社会復帰など一連の合意を原告団などと交わしました。その柱のひとつが「在園保障」です。この中では「入所者が在園を希望する場合には、その意思に反して退所、転園させることなく、終生の在園を保障するとともに、社会の中で生活するのと遜色のない水準を確保するため、入所者の生活環境および医療の整備をおこなう」と約束しています。
 この約束にふさわしい13療養所の将来について、各施設入寮者らは「療養所が地域から孤立したものではなく、地域の医療・介護施設として、またハンセン病問題を考える歴史・資料館など特徴を生かして社会に開かれた施設にすべきである」と主張しています。
 96年の「らい予防法」廃止の際には全国の療養・(隔離)施設への入所者は5000人でした。現在は3000人を切り、平均年齢は79歳を超えています。10年たてば1000人を切ってしまうのではないかと心配されています。
 本県の入所者はこの8月末、群馬県の栗生楽泉園、東京都の多磨全生園など6療養所に33人の方々がおられます。
 入所者の皆さんには、今なお続く差別と偏見、断種・堕胎による絶滅政策によって、頼ることのできる親族、子どもがいません。入所者の願いは「地域の人たちと社会の一員として安心して暮らしたい」ということにあります。これを阻んでいるのが国の姿勢です。「らい予防法」廃止法二条の“国立療養所は入所するものに必要な療養を行う”との規定を理由にして、地域への開放を拒んでいます。「隔離政策の継続だ」と批判の声があがるのは当然です。
 本意見書案は「ハンセン病問題基本法」の制定によって療養所の将来について関係者の意見を尊重し、地域・国民のための医療・介護施設などとして広く開放・発展させようというものです。
 「生きていて良かった」と患者・元患者のみなさんが心から言えるよう、国の責任でハンセン病問題の真の解決が図られるよう申し述べ賛成討論といたします。


議 第 5 号

ハンセン病問題の解決に関する意見書

2007年10月5日

 衆議院議長
 参議院議長
 内閣総理大臣   あて
 厚生労働大臣

議 長 名

地方自治法第99条の規定により、下記のとおり意見書を提出します。

 国は、平成8年にらい予防法を廃止するまで90年にわたりハンセン病患者・元患者の強制隔離政策をとってきた。平成13年に熊本地方裁判所において国のハンセン病政策遂行上の違法性等を認める判決が出され、これを受けて国は患者へ補償、名誉回復、社会復帰等について最大限取り組むこととなった。
 国立ハンセン病療養所入所者については、希望すれば将来にわたって在園を保障されることになり、国は、社会の中で生活するのと遜色のない水準を確保するため、生活環境や医療の整備に努めることが確認された。こうした中で、長年、強制隔離政策に苦しめられてきた患者・元患者が将来にわたって地域社会の一員として安心して暮らすために、療養所の将来のあり方、差別・偏見の除去、社会復帰の支援等を規定するハンセン病問題基本法(仮称)の制定等が求められている。
 よって、国においては、患者等の切実な声を真摯に受けとめ、必要な立法措置を講じるなど、ハンセン病問題の解決を図るための取組を推進するよう強く要請する。